紀南抄5月20日付

2017-5-19

 「名も知らぬ遠き島より/流れ寄る椰子の実一つ/故郷の岸を離れて/汝はそも波に幾月」―。島崎藤村が作詞した「椰子の実」の冒頭の一節である。補陀洛山寺で渡海上人追善供養祭を取材した同僚から補陀落渡海に関するある「仮説」を話され、あの藤村の詩情がにわかに頭に浮かんだ。
 その仮説とは、渡海上人が海流に乗ってどこかの島に漂着し、そこで生きたという事例があったのではないか、というものだ。思ってもみなかった想像だったが、考えてみると全くの妄想でもないのかもしれない。例えば、明治11年末に太地鯨組が見舞われたいわゆる「背美流れ」では、出港から7日後、伊豆七島の神津島に船員8人が漂着しているし、平成20年には宇久井漁協の定置網が暴風雨で流され、数日後に八丈島で発見されたこともあった。漂着地はともに当地からの黒潮のルートにあたる場所だ。
 気になって調べてみると、室町時代の日秀という渡海上人が、那智から渡海したが琉球に漂着し、熊野信仰と真言宗を広めたという事例を知り、驚いた。
 椰子の実のごとく旅立った上人らが、「海上の道」に乗って彼岸に漂着する。生きながらに「補陀落浄土」に辿りついた上人の存在は、南方への想像力をかき立ててくれる。

【K】

社説

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