紀南抄2月10日付

2017-2-9

 古代ギリシャ神話の巨人プロメテウスは、主神ゼウスが取り上げた火を地上に持ち帰り、人間に与えた。その火を歓んだ人びとの思いを、今なら想像することができる。
 お燈祭りに、3年ぶりに上り子として参加した。撮影で登った過去2年とは比較にならない高揚感を携え下山した。すごい祭りだとつくづく思う。
 火についての独自の思考を積み上げた哲学者にガストン・バシュラールがいる。彼は火と人間の関わりの前提には「触れてはならない」という父権的・社会的禁止があると捉える。しかしその禁が解かれ、人がそれに触れたとき、火は「善と悪とを同時に断固として受け入れることのできるただ一つのもの」として特別な力を持つという。
 老いも若きもみなが上り「子」となる夜。来るべき「御神火」を待つ子らの渇望感がピークに達し、父(神)から「秘められてきた火」が授けられた瞬間、歓喜は爆発する。そうして特別な力を得た子らが歓びを拡散し、神倉山は巨大な火の聖地と化す。そこは、火によって新たな命を与えられたものらの楽園のようだった。
 この生と死、あるいは自由と禁忌が渾然となった火の祝祭がある限り、熊野・新宮は何度でも甦るだろう。神話と現実が解け合う奇蹟的な時間を過ごし、そんな潔い感動を覚えた。

【K】

社説

  1. editorial

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