紀南抄10月28日付

2016-10-27

 芥川龍之介の『薮の中』は、薮で殺された男をめぐる裁判形式の小説で、黒澤明の『羅生門』の原作としても知られる。犯人や殺害へ至る経緯などが、死んだ男の死霊も含め3人の当事者の証言などを元に示されていく。しかし各人の証言は矛盾しており、事実と言えることは、薮で男が死んだことだけ。「真実は薮の中」という常套句(じょうとうく)の元ともなった。
 この作品の読み方には多くの解釈があるが、批評家・福田恆存(つねあり)は「心理的事実もまた事実である」とし、国文学者・吉田精一は「めいめいの関心、解釈、感情によって、単純な一つの事実がいかに種々の違った面貌を呈するか」という問題が作品の主題だとする見方を示している。異なる立場や解釈がある際、「事実」は相対化されるということだ。
 これまで再三紙面で取り上げてきた「東牟婁クリーンセンター問題」への取材を通じ、まさに「薮の中」という他ない状況に何度も遭遇した。多くは「言った・言わない」程度のものだが、一つの「事実」を書けば、異なる「事実」を持つ勢力から「事実と異なる報道」と「遺憾の意」を示されもした。だが、報道にとって一義的に重要なのは、各々(おのおの)の立場を尊重し、その場で提出された「事実」と向き合うことだ。

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