大漁唄込がきっかけ
新宮市三輪崎と唐桑町の交流

現在の交流のきっかけとなった大漁唄込の様子(提供写真) 宮城県気仙沼市唐桑町と新宮市の関係の深さを知ってもらおうと、同町の劇団による郷土芸能劇「唐桑ものがたり2016 海の古道〜神々の記憶〜」が26日午後6時から、新宮市の三輪崎会館で開かれる。両者の本格的な交流が再開されたのは約10年前。きっかけの一つとなったのは三輪崎から伝わったという説もある大漁唄込(うたいこみ)だった。
 唐桑の大漁唄込には『鮪立(しびたち)大漁唄込』や『崎浜大漁唄込』などがあるが、歌い始められたのは江戸時代半ばだとされている。船が港に近付くと漁師が大漁唄込を歌い、その内容によって釣り上げた魚の量を伝えていた。
 約10年前、唐桑町から那智勝浦町の漁港へやってきた漁師の三浦仁さんが唐桑町の大漁唄込の起源が三輪崎にもあると訴え地方新聞の記事になった。新宮市三輪崎の屋敷満雄さんはそれを見て唐桑町民と連絡を取り、知人とともに訪れ「牡蠣まつり」で大漁唄込を見物。そこで現地の教育委員会職員から唐桑町と三輪崎のつながりをまとめた資料を受け取り、その歴史を知った。
 三輪崎の漁師たちが唐桑町に先進的なカツオ漁を伝授したのは江戸時代の延宝3(1675)年。唐桑地域のリーダー的存在だった古舘家当主勘右衛門が率先して新しいカツオ漁を取り入れた。その子孫で、唐桑大漁唄込復活推進実行委員会の鈴木伸太郎会長の家からは紀州の漁師が伝えたとされる「カツオのため釣り漁法」という一本釣り漁法を記した文書が発見されている。
 屋敷さんらは鈴木さんの家も訪問。それ以来親交を深めている。「当時はまだ面識のなかった私たちを皆すごく歓迎してくれた。あれから何度も唐桑を訪れているが、やっぱりあそこには素朴な人情がある。最初は訛(なま)りがあって言葉が分からないときもあったが今ではお互い通じ合えていると思う」と語る。

■復興への思い込め
 それからも新宮市民とともに「郷土芸能体験モニターツアー」や「大漁唄込みのルーツと魅力を探るシンポジウム」などに参加。東日本大震災で被害を受けた唐桑の救援にも新宮市や那智勝浦町の救援隊の一員として駆け付けた。「あそこには今も避難所がある。それぐらい被害は大きかったが、彼らは最初から全くへこたれていなかった」と話した。
 平成24年には唐桑大漁唄込復活推進実行委員会による「大漁唄込み復活祭」が行われた。同会は「震災復興に向かう今だからこそ、大漁唄込みの持つ意味と力とを再認識することが、地域再生の原動力になるものと確信します」としている。26日の三輪崎公演でも大漁唄込が歌われる予定だ。

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