近親者のみ知る西村伊作
孫・立花利根さんが講演
海外の建築技術に興味

photo[3] 西村記念館・旧チャップマン邸の会主催の講演会「素顔の西村伊作さん−孫 立花利根さんが語る−」が13日、新宮市福祉センターであった。約100人が聴講し、伊作の功績をたどるとともに、近親者しか知らない伊作の話に興味深く耳を傾け、伊作の日常を想像した。
 伊作は明治17年に新宮市に生まれた。大正10年に文化学院を創立し、先駆的な教育活動を行うとともに、住宅などの建築活動を行った。これらを通じ、日本人の生活向上に大きな影響を与えた。立花さんは伊作の長女・アヤさんの子で、伊作の孫にあたる。慶応大学卒業後、当時、文化学院の校長だったアヤさんとともに学院の教育に携わり、平成22年までの20年間、学院の副校長を務めた。チャップマンは紀南地方にキリスト教を広めた伝道師。
 冒頭、主催者を代表して、同会の関康之会長があいさつ。「人生にはさまざまな出会いがあります。この瞬間、お越しいただいた皆さまとの出会いが生まれました。今日の出会いをきっかけに、西村記念館と旧チャップマン邸を活かした取り組みを全世界に発信できるようになれば」と述べた。また、関会長は昨年夏にアメリカ・シアトルを訪れ、チャップマンの子孫と交流したことも紹介した。

 伊 作 の 日 常

 現在、新宮市では西村記念館と旧チャップマン邸の改修事業が進んでいる。これらを設計した伊作の痕跡や業績は少しずつ知られるようになってきたが、日常生活の様子は知る機会がほとんどなかった。これを踏まえ、立花さんは近親者のみ知る“素顔の伊作”を紹介した。
 常識を持って行動していた伊作だが、学校をつくったり家を建てたりしたことから自由奔放な面も持っていた。キリスト教徒の父を持つ伊作だったが、自身はキリスト教に深く染まることはなかったとし、それは無宗教の学校として文化学院を創設したことからもうかがえるとした。
 日常の伊作について、海外の建築技術に強い興味があり、それを知りたいがために外国から本を取り寄せていたこと、必死で英語を勉強したことなど当時の様子を語った。祖母や母から聞いた話の紹介では、伊作はアヤさんといつもけんかしていたという。「全てのことを捨てて“俺に従え!”と言っていた」とする一方、アヤさんが悲しむようなことがあった時にはもっと強い怒りを示すという家庭思いの面もあった。「祖母が留学のため神戸からアメリカに行く船に乗りこんだ際、伊作はとても悲しんでいた」と思い起こした。
 また、新宮市の名誉市民であり、伊作と深い関わりのある大石誠之助についても解説。若くして父を亡くした伊作の父親代わりの存在だったという。
 文化学院について振り返り、立花さんは「校長だろうと先生だろうと、みんなあだ名で呼び合っていて、“人間はみな平等”という意識の浸透した学校だった」と話した。

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