東西つなぐ海運拠点か
遺跡が示す中世の新宮

photo 企画展「"港町"新宮〜丹鶴小学校から発掘された交易都市の姿〜」が13日、新宮市阿須賀の市立歴史民俗資料館で始まった。入館は無料で、4月15日(日)まで。開館は午前9時から午後5時。新宮城下町遺跡(旧丹鶴小跡地と周辺)から発掘された中世の遺物群をはじめ、近代に至るさまざま史料を展示。東西をつなぐ海運拠点として栄えてきた新宮の姿が浮かぶ内容となっている。
 市教育委員会、市立歴史民俗資料館の主催。展示品は、中世(鎌倉〜室町時代)、近世(江戸時代)、近代(明治〜大正)の時代別に分けて、約70点を展示している。新宮城下町遺跡から発掘された中世の遺物として、陶磁器や土器や鋳型の欠片、地下式倉庫や土坑の写真、古文書の写しなどが展示されている。
 市教委文化振興課の小林高太さんは、発見された陶磁器は、東は常滑焼や瀬戸焼(愛知県)、西は備前焼(岡山県)があること。土器も三重県や兵庫県のものがあることなどから、「東西の物が集まる拠点の港ではなかったか」と話す。
 遺構でも東西交流の跡が見られる。地下式倉庫跡では、鎌倉や博多で見つかったものと同じタイプのものがあるという。さらに鎌倉時代の地下式倉庫では、新宮以外には鎌倉でしか見つかっていないタイプもあり、「鎌倉幕府と新宮港の直接の交流の証しでは」と語る。さらに中国製の陶磁器もあることから、「港の経営は熊野信仰の実力者、熊野別当(鎌倉時代)では」と推察する。
熊野本宮大社所蔵の古文書に、港を表す「新宮津」の文字がある。津があったとされる丹鶴体育館裏の水深は浅いため、「川の真ん中に大きな船をとめ、小船で荷卸しをしたのでは。もしくは、丹鶴山(お城山)の陰で風よけをしながら降ろしたのかも」と述べる。「東西交流の盛んな港だったのだろう」と見解をまとめた。
ほかにも、近世のものとして熊野速玉大社所蔵で市指定文化財の新宮本社末社図、新宮城跡で出土した遺物。近代のものとして郷土史家の中瀬古友夫さん所蔵の熊野川貯木場などの絵はがきなどが展示されている。中瀬古さんは「城下町遺跡の発掘で、中世から続いた新宮の港が果たしてきた役割が見えてきた。途切れ途切れではなく、歴史は連綿と続いていることがよく分かる」と感想を述べた。

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