祭りに臨む気持ち 重視を

 神倉神社の例大祭「お燈祭り」が6日、執り行われた。今年は火曜日だったこともあってか、祈願者の上り子(のぼりこ/あがりこ)の人数は1761人と例年より少なめ。近年ではなかった寒さの中で、比較的静かに祭りが進んだ。
荒々しいイメージがあるものの、非常に優しい祭りという面もある。小さな子どもたちも、親と一緒に「上り子」として参加できる。子ども連れが奥に行こうとすると、山門付近に陣取っている人たちから「子どもが通るぞ」と声が掛かり、道を空けてもらえる。そもそも、ほこらの中で作られた小さな火を上り子全員で分け合う祭り。一つの共同体としての意識がそこで育まれたはずだ。
「来るものを拒まず」は熊野の精神性を表す一つのキーワード。たいていの祭りは、地元の人しか関わることができないが、たとえば熊野市有馬町にある花の窟神社例大祭では「お綱掛け神事」という神事には観光客も参加できる。
お燈祭りも、男性で、白装束を来て松明を持てば誰もが「上り子」になれる。近年は、観光客の参加も多く、観光協会は外部の人の着付けを支援している。観光で来てくれるのは喜ばしいこと。新しい新宮ファンを作るきっかけにもなっているし、新宮出身者のように「お燈祭りにだけは帰ってくる」という人もいるかもしれない。
その上で、地元の人も観光客も、厳粛な神事に参加するという気持ちを忘れてはいけない。早朝みそぎの世話をしている男性は、「観光客であってもゲストではなく、祭りを一緒に作り上げるキャストだ」と語る。遊び、物見遊山ではない、祈りの気持ちを持つことが必要。単に「だれでも参加できる」のではなく、「祭りに対して真摯な気持ちを持つ人は」という条件がついてこそだろう。
お燈祭りが、早春の観光の目玉になることは地域にとって喜ばしいこと。ただ、祭りの本質が変化してしまうことは望ましくない。自分たちの先祖が、はるか昔に感得した御神徳を伝える祭りであり、火への畏れや感謝を新たにする祭り。観光客を呼び込むのにあたっては、祭りの本質を理解してもらって、上り子となってもらうような働き掛けが必要だ。(平成30年2月11日付 紀南新聞掲載)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

社説

  1. editorial-5-300x220

新聞広告ガイド

名刺印刷承り中

ページ上部へ戻る